もともこも笑いっぱなし

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ケラケラケラ

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人間は考えることが少なければ少ないほど、よけいに喋る。(仏政治思想家: Baron de Montesquieu)

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(via eltercsabi)

quite erotic, isn’t it?

ダメな人というのは、ひとつには、

「いまの自分の世界から出られない人」

を言うのかなあと思う。
すべてを、自分側の、狭くちいさな関心に
引き寄せてとらえ、
そこにひっかからないものは、スルーしてしまう。
自分とは遠い、関係のない、スケール感のちがうものを、
つかみにいったり、くらいついたりして、
自分の世界をうんと遠くへ広げることができない。

いや、「広げる術を持たない」と
言ったほうがいいかもしれない。

同じ一冊の本を読んでも、
自分側の狭い世界に引き込んでしまうか、
初めての、とんでもなく遠く、抽象的で、
わからない世界に、
くらいついてとりにいくか?

こんな話をしていたら、ある編集者さんが、
松岡正剛さんの言葉を引用して、

「本にさらわれたい」

と言った。
自分の生活圏にない、はるか遠い世界にさらわれるには、
「さらわれる」だけの能力が要るんだなあ、と思う。

具体例の拾い読みをする人に必要なのは、
はるか遠い世界に「さらわれる力」なのかもしれない。

「さらわれる力」はどのようにして伸びるのか?

「富」「名誉」「健康」という人間の叶えたい願望が3つある。

富:まぁお金のことだ。財産、お金でなんとかなる享楽といってもいい。

名誉:この場合、一時の栄光ではなく、未来に残る栄誉。「名作」「傑作」ね。

健康:長寿だけじゃなくて、結婚相手、家族、家庭的な安寧も含む。

でも人間には手が二本しかないから、このうちの2つしか手に入れることができない。

  • 富と名誉を選ぶと、健康(長寿・家族)を得ることが出来ない。
  • 名誉と健康を選ぶと、富を売ることが出来ない。
  • 富と健康を選ぶと、名誉を得ることが出来ない。

id=1330373941 (via otsune) (via ukar)

大阪では一日分の飯は昼に炊き、江戸では朝に一日分の飯を炊きました。一日一回しか飯は炊かないので大阪では夜と次の日の朝が冷や飯、江戸では昼と夜とが冷や飯でした。
あるときに江戸の設定で夜にほかほかのご飯を作っているシーンがありましたが一般的ではないなあと思ってみてました。当時夜に飯を炊くなんてことはほとんど考えられないことです。

時代劇に登場する大嘘を教えて下さい - 教えて!goo (via nkym) (via gickonbattan) (via nemoi) (via jacony)
西の方の旅館は朝食がおかゆのイメージ有るけど、そう云う事か。 (via seiichirou) (via wideangle) (via ukar)

帰ってみると嫁が酔っ払っている。 
 
 
通勤でストッキングが伝線したんだとか、信号があたる度に赤だとか、
スタバでソイラテ頼んだら普通のミルクだったとか、何度もコピー用紙補充したとか、
上司に嫌味を言われたとか……色々と今日はツイてないと言う。

こんな日は飲むしかないよね~といいつつ、惣菜の中華サラダをつまみにグラスを煽る。
流しにすすいだビールの缶が幾つも並んでいる。
俺も飲もうかなと冷蔵庫を向くと、そうしなぁそうしなぁとうんうん頷く。

野菜室からネギを出して刻む、フライパンを温める、まな板とナイフを洗う、
買ってきたハツとネギを手っ取り早くゴマ油で炒める。嫁の分はしょうがも入れる。

おーつまみが増えたと喜び、帰ってきてから初めて笑顔を見せる。
ふと気付いたように、あぁおかえり言ってなかったねと自嘲する。

もう言ってもらったよと嘘を言い、嫁のグラスを取り上げる。
まだ飲むんだからと不満げな嫁に、冷凍庫に入れておいたカップを渡して
プシッと開けたばかりのビールを注いでやる。

何がそんなに感極まったのか、
微かに聴こえるぐらいにありがとうと呟き、泣き出してしまう。

嫁の背中を撫でながら、頼られるとちょっと嬉しいなと思う金曜の夜。

米シカゴに住む34歳のティアン・ハリスさんは、10月31日に幸せな花嫁となる予定が、6日前になって相手の男性から突然結婚の中止を告げられてしまった。式直前でのまさかの事態だが、さらなる追い打ちをかけられてしまう。慌てて母親と一緒にパーティー会場にキャンセルを申し出ると、もう返金は不可能と言われたそう。駐車場に座り込み落ち込むハリスさんと、なす術もなく見守る母親。そのとき、向かいにあった老人ホームを目にして良いことを思いついた。

どうせ無駄にするならと、2人は向かいの老人ホームの人たちとパーティーを開こうと決断する。「寄付をしたい」とハリスさんが飛び込んだ老人ホームの施設長は、「彼女はここにいる誰も知らないだろうし、そんなオファーも受けたことない」(米紙ニューヨーク・デイリーニュースより)と驚いた。かくして、ハリスさんの結婚パーティーは、老人ホームのハロウィンパーティーへと変更。お年寄りたちも、思いもよらぬイベントを大いに喜んだという。

300人近いお年寄りは思い思いに仮装して、ダンスに興じた。あるお年寄りは「とても楽しい時間だった」(米放送局CBSより)と語り、老人ホームに素敵なひとときをもたらしたハリスさんに感謝している。施設長も「彼女はどこからともなくやってきて、私たちに美しいパーティーを与えてくれた天使」とハリスさんを讃えた。

会場の傍らでお年寄りの笑顔を見て満足したというハリスさんだが、本当なら自分が主役になるはずだったパーティーにやはり心境は複雑だったよう。母親も「会場で、皆さんの前にいるのが娘だったらよかった」と無念さを語り、施設長も「彼女は落ち込んでいたと思う」とハリスさんの心中を慮った。しかし、そうした中でもお年寄りたちに幸せな時間を与えたハリスさんの人柄に、施設長は「神は彼女を祝福し、きっとほかに良い人を見つけられる」と太鼓判を押す。

ハリスさんは11月2日に、新婚旅行となるはずだったハワイへ1人で旅立ったそう。

[旅行]クラブメッドのオールインクルーシブ旅行(タイ3泊5日)が目前に迫っているッ! 

嗚呼、なんやかんやでまた来週から国外逃亡でございます。今回は結構?年上、海外旅行経験のごくごく少ないアラカンな御方をお誘いして行ってまいります。タイへ行くのはカレコレ13年ぶりくらいくらいかねぇ…プーケットも一瞬行ったことはあるけれど、滞在するのはお初かも。 オールインクルーシブで楽しむClubMed(クラブメッド)でタイのプーケットへ! あとで書きます。の続きです。

出展者数は120組を超え、すごい盛り上がりになりそうです。今後公開するすべての情報はこのページからリンクしたいと思います。お楽しみに! * 開催日:2009年11月22日(日)、23日(祝)

[レストラン・外飯]昭和のかほり漂うお好み焼き屋!梅田は「美舟」の焼きそばよ、もう一度‥ 

無くなったと思っていた写真がでてきたので。なんだかもう大昔な感じもしますが‥過日大阪へいったときに、味わい深いお好みちゃんを食べたのでした。見知らぬ土地を歩く場合、明るい人に連れ歩いてもらうのは好いですね。食べ物屋さんもしかり。 おひとり様席?みたいなのがあるのが大阪だねぇ。 焼きそばが太くておいしかったな〜。なんと卵をからめて?食べたりもするみたい! お好みちゃんも、しとやかにうまい。…

[レストラン・外飯]恵比寿のカリフォルニア料理「カバナ(cabana)」のバーニャカウダは不思議 

恵比寿の歩く歩道を抜けて、ガーデンプレイスのクリスマス*1を抜けて、ポッケに手をいれてもらって!てくてくてくてく…生粋の?アメリカ人と恵比寿のカルフォルニアで貸し切り状態な夜を過ごしました。…

五十六世紀人たちのしゃべる言葉は、長い場合は猛烈にはやかった。――まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。一つ一つの単語をゆっくりきかせてもらうと、その中には二十一世紀の言葉が、猛烈に簡略化され変形されて、かすかな痕跡をのこしていることがわかるが、とてもききとれたものではない。その上、彼らの言語系の中には、数式や数字の概念が、たくさんとりいれられていて、とてもついていけたものではなかった。――日常の会話は、まったく静粛で、言葉すくなかった。というよりは、大脳前頭葉が二十一世紀人にくらべて極度に発達した彼らは、ほんの短い、間投詞のような言葉を投げかけあうだけで、ほとんどの意味が通じてしまうらしかった。しかし、長い議論になると、鳥のさえずりのような、せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。――彼が発見しておどろいたのは、五十六世紀人たちは、会話が熱をおびてくると、しばしば二人ないしそれ以上の人たちが、同時にしゃべりまくるということだった。最初はそれが受け答えになっているのかと思ったが、そうではないらしく、めいめいの人間は、相手のいっていることなどきかず、猛烈なスピードで自分の考えをしゃべりつづけ、相手のしゃべりつづけている話のうち、ほんの一つ二つの単語なりフレーズなりで、なにかこちらが展開している思考にヒントとなるようなものがあれば、それが相手方の展開している思考系列のなかで、どういう順序、または意味で組みこまれているかということとは関係なく、それをこちらの思考の流れにとりいれて、また新たな方向へ、自分の考えを展開していくらしかった。――つまり、彼らの議論とは、めいめいが相互に情報発信源になってのべつ発振し、何かめいめいにとってそのなかで、瞬間的に共鳴する情報だけがコミュニケートすればいいのであって、相手の考えを全面的[#「全面的」に傍点]に理解する必要はなかったのだ。にもかかわらず、そのやり方は、相互に共鳴し、コミュニケートする情報が、ある確率[#「確率」に傍点]でもって整理されていくことによって、りっぱに――むしろいちいち言葉の厳密さをたしかめて、煉瓦《れんが》のように論理を構築していく古いやり方より、よっぽど効率よく――相互の思考を進展させ、同時にめいめいがちがった側面において、新しい問題に達することによって、ひろがりを深めていくのだった。

小松左京『神への長い道』 (via tokada)

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